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【「遠い昭和」の風景】鶴見線の引込線の痕跡を訪ねて【後編】

ぶらり大人の廃線旅 第12回

昭和駅に見る「遠い昭和」の風景
 扇橋で南渡田運河を渡るとすぐ昭和駅だが、その手前に鶴見線から分岐した線路が道路を斜めに横切っているのが見えた。この昭和駅前踏切は警報機こそ立っているが「踏切使用停止中」の札が掛かっているので久しく列車は運転されていないようだ。かつての東亜石油の工場(平成23年閉鎖)への敷地入口は草で覆われており、完全な廃線状態である。県道を西へ折れて昭和駅へ回ってみた。駅前が昭和電工前踏切で、渡った先は同社の敷地である。手前には購買部があった。この駅名も同社(前身の昭和肥料)にちなむ昭和6年(1931)の開業だが、まるで遠くなった「昭和」を象徴するような風景である。

写真を拡大 「昭和」の雰囲気を色濃く残す昭和駅舎。ここも日中は2時間おきにしか電車が走らない。

写真を拡大 昭和駅前踏切。かつて東亜石油の京浜製油所に通じていた線路が県道を斜めに横切る。

 ここからは元来た道を浜川崎駅まで戻るのだが、来た時とは反対の西側の歩道を歩いた。浜川崎貨物駅から旧浅野セメントへ通じていた線路の「切断部分」を見るためである。この跨線橋のアップダウンは線路のない今となっては無用の長物で、できれば撤去した方がトラックの燃費も上がって結構だろうが、撤去費用も馬鹿にならない。跨線橋のてっぺんから浜川崎貨物駅を俯瞰すると、跨線橋のすぐ手前で線路が途切れているのが明確に認められた。無造作に断ち切られた歴史ある貨物線。冬至に近い午後3時の西陽が、がらんとした構内を照らしている。

写真を拡大 浜川崎駅構内の東端で切れた線路。大正7年(1918)に手前方にある浅野セメントの工場まで通じた、京浜工業地帯では最古級の貨物線であった。

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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